2018年11月 - 2

先週は飲み会で久々の人の近況を聞いて、興味深すぎてその人一人だけを二次会に誘い、長々話を聞いて終電を逃した。

もはやこの年齢になると、人間関係においても損切りが大事だなと思った。そして、素早く損を切るためには資金が必要。お金をかけるか時間をかけるかの選択となったときに、あまり長く迷わず最終的にお金で解決した友人はきっと正しいのだと思った。



学生時代、私は親が経営者だったので家には普通以上にお金があったが、私自身は学部の途中から学費が個人持ちになったので特に院時代はそれなりにお金に苦労した。実家という帰る家はあったし、院の二年間は学費の一部が大学支給になったので、めちゃくちゃ貧乏学生というわけではなかったが、家に所得があったり親の承諾を得られないと貸与の奨学金を受けることもできないので、自分でどうにかするしかなかった。

途中から実家で暮らすための生活費を父親に請求されるようになり、それが徐々に高額になってきて、M2の秋には遂にキャッシュフローが回らなくなった。それで、学生最後のM2後期分の学費の振込期日直前からの数か月間は、どうにか学費を支払うために友人からお金を借りたりもしていた。

最終的には卒業前に全てを支払い返金し終えたが、当時の自分にとっては超大金だった数十万円の振り込みを終えて借金が完全になくなったあのときの、肺呼吸が楽になるような独特の感覚は今でも覚えているし、何より学生時代は家がぐちゃぐちゃだったので、お金さえあればもう少し解決策が広がるのになあとはいつも思っていた。


その後、私が社会人一年目のときに父親の暴力により母が身一つで家から逃げ出し、携帯と財布の中身以外の全てを失って、寝泊まりする場所を含めて明日から生きていくために必要なほぼ全てのものがありませんという状況になり、さらに当時まだ六年制の大学の学部生だった妹の学費と生活費の支払いが卒業まで1000万を超える額必要となったときも、もっとお金さえあればなあと毎日思っていた。

(なお専業主婦だったため無職かつ所持金のない母の家については、職と多少の貯金があった私が一年分の家賃を一括前払いすることでURから部屋を借りられた。家財道具や服など母が実家に残してきた一切のものや、母名義の口座内の貯金が裁判を経て手元に戻ってくるまでにはたしか2年か3年くらいかかった。妹の学費と生活費は、私の毎月の給料と彼女の奨学金でどうにか払い終えて、彼女は無事国家試験をパスし卒業した。)



今も別に大した額の貯金はないけれど、あの学生時代や就職直後の数年間に比べればかなりの余裕があるし、お金の余裕は心の余裕を生むんだということは、お金があれば、と毎日のように思っていたあの時期を越えてから初めて知った。

手持ちのお金で解決できることは、どんどんすればいいと思っている。