2021年2月 - 5

土曜夜の地震は長くて強かった。

最初は小さめの地震だなあと思ったけど、なかなか止まらず、しかも途中からゆっくり強めに横揺れし始めて、揺れが完全に治まるまで数分かかった。揺れ方の部類が10年前の東日本大震災のときと同じで、スマホやテレビで地震情報を確認する前から「震源は遠いけど大きい地震だな」ってわかった。

東北で震度6強だそうです。ほんとに最初だけ「多少の潮位の変動があるかも」的な報道があり、割とすぐに「津波の心配はありません」に変わった。緊急地震速報のシステムもそうだけど、こんなに瞬時に各地方の地震の大きさや震源の深さ、津波の恐れがあるかどうかまでわかって即時報道されるの、改めて考えるとすごいよなあ。

東京ではここ数年で一番大きい地震だったのでは?揺れ方が横方向に大きくて長かったから、震度の数字以上に強く感じたというのはあるかもしれない。



10年前の3月11日、東日本大震災の日は、お昼休み後にいつも通りラボで実験していた。

当時は日本の同僚も多かったし、私も大きい開発チームにいたしで、同じ部屋に他にも何人も人がいた。皆で立ち仕事をしていたら、一人が「あれ?揺れてません?」って言って、えー揺れてますか?とか皆で言っていたら大きく横揺れし始めて、「隠れましょう」と言って皆それぞれ机の下に入った頃にフロアが停電した。まだがっしゃんがっしゃん揺れている中で非常灯以外が落ちて真っ暗になったので同僚が悲鳴を上げて、今となっては揺れ自体の記憶よりも、彼女の悲鳴と、それを聞きながら見ていた机の下からの視界の記憶の方が強い。

その日は当然、即時仕事を停止して、全員帰宅もしくは会社に待機となった。当時私はまだ子供がいなかったので急ぎで帰る必要はなかったのだが、その頃は会社からまあまあ近いところに住んでおり、電車が動かなくても歩ける距離だったので、ヒール靴を会社用のスニーカーに履き替えて帰宅することにした。なるべく一人で帰らず、帰る方向が近い同僚と複数名で帰るようにとの指示で途中まで先輩と一緒に帰ることになった。電車はどうせ止まっているだろうとの読みで歩いて帰ろうと駅とは違う方向に歩き出したところ、なんと帰宅方面へのバスが普通に走っており、しかもすいていたのでそれに乗った。

私は当時ワンセグ機能付きのガラケーを持っていたので、バスの中ではNHKを見ていた。地震発生数時間後のテレビでは、東北地方沿岸部の上空のヘリコプターから撮った、津波が町や田畑に押し寄せていく様が生中継されていた。かなり引きの映像だったので、なにか小さな水たまりの水がごくゆっくりとじわじわ外へ広がっているかのように見えた。人や車を津波が飲み込むその瞬間だけはなるべく映さないようにとカメラを動かしていることはわかったけど、とはいえ数分間見ていたらこの地域は全部水に浸かってしまったのだということは明白で、さっきまで映っていた、あの辺を歩いていた人も車の中にいた人も全員死んだんだな、と思って、途中で見るのをやめた。テレビで、東北の海岸沿いの地域のことが「壊滅的」という言葉で繰り返し評されたのはこの日のことだったか、後日のことだったか。

私の乗ったバスは最初こそスムーズに走っていたが、停電で一部の信号が消えていて一般人が交差点の交通整理をしていたり、そのせいか渋滞していたりで、途中からほとんど動かなくなった。私は元々歩いて帰るつもりで会社を出たので、これなら歩いて帰る方が早いかもな、暗くなる前に家に着きたいし、と思い、現在地がどこだか全くよくわかんないけどまあ歩いている人に聞けばどうにかなるだろという適当な考えでバスの運転手さんに「すみません、ここで降りたいんですけどドア開けてもらえませんか」と言ったらバス停でもなんでもないところで後部扉を開けてもらえて、そしたら私だけじゃなく他にも10人以上の乗客がそこで一緒に降りてきたのでびっくりした。

その後は人に道を聞いたりしつつ家まで歩いて帰った。途中のエリアが停電していたので家はどうなっているか心配だったが、マンションのあるエリアは運よく停電しておらず、でもエレベーターに乗るのは不安だったので階段で自室まで上がった。玄関の花瓶と花が倒れていたくらいで、家の中もほとんど被害はなく、まだ職場にいた同居人とツイッターのDMで家の状態や電車の運行状況などを連絡しつつ、家にあったなにかを食べて夜まで過ごした。その日の夜中だか明け方のうちに電車が復旧し(すごい)、同居人は電車で帰ってきた。



長くなったので続きます。