2018年11月 - 8

同じ部署の後輩が産休に入るそうだ。

彼女と私は同じ部署ではあるがファンクションが違うので、普段働いているサイトも別で、そういえばもう数か月顔を合わせていない。オフィシャルなアナウンスがあって、初めて彼女が妊娠していたことを知った。



彼女は元々は他の部署にいて、そこから今私がいる部署に移ってきたのだが、その部署異動の前に私のサイトに来ていたことがあって、そのときに初めて顔を合わせた。

その顔合わせの目的は、私の部署の製品や業務内容を紹介するというものだったのだけれど、実際にその枠で彼女と何を一番話したかというと、「この会社、この部署で、小さい子供を育てながら働き続けることができるのかどうか」についてだった。

当然、私が初対面の人相手にそんな話を持ち出すはずなどなく、その話を聞きたがっていたのは彼女と、一緒に参加していたもう一人の女性だった。二人とも同じ部署で、年齢も近くて、私よりずっと若い。

彼女たちは、私の部署の製品や業務内容なんかについてよりも、育休復帰後の仕事のことばかりを聞いてきて、ああ彼女たちが今日ほんとうに聞きたいのはこの話なんだなとわかったので、途中から元々の目的は完全に捨てて、そのようなテーマで彼女たちの話と質問を聞き続けたのだった。


それで詳しく話を聞いてみると、彼女たちの部署では最近ベテランの女性が退職したばかりだったそうで、その理由が「仕事と育児の両立ができない」というものだったらしい。

私はその退職した女性とは面識がなく実情は一切知らないが、彼女たち曰く、その女性はとてもとても仕事ができて、かつ後輩の面倒見もいい優秀な人で、退職の直前までものすごい量の業務を一人でこなし、残業も土日出勤もしまくっていて、子持ちでありながらバリキャリという印象だったそうだが、最後まで激務を滞りなくこなした後で、突然退職してしまった。

その送別会だかなにかの際に、彼女は残された部署の人達に対して、「子供を育てながら、ここでこのまま仕事を続けることは難しい。努力したが、私にはやはり無理だったので退職することにした。退職後は専業主婦になる」というようなことを言ったのだそうだ。


「これまで、子供を産んでも仕事を続けることは当たり前だと思っていたけれど、自分の部署のすぐ身近で最近このようなことがあり、大変ショックを受けた」「上司は、そのような状況になれば両立できるようにもちろんサポートすると言ってくれるけれど、部内の唯一のロールモデルが失われてしまい、自信をなくしたし、不安に思っている」「この部署では、小さい子供のいる女性はあなたの他にも働いているのか」「過去に出産した女性はどれだけいて、育休復帰した人や、復職後に退職した女性はどのくらいいるのか」「育児と仕事を両立していくのはどんなかんじなのか、どこに一番困難を感じるか」……

彼女たちの話を聞いていて、退職した女性の言葉が、彼女たちには呪いのように残ってしまっているのだなと思った。

その女性が退職した理由がほんとうにそこにあるのか、もしくは単に他人から受け入れられやすそうな理由を述べただけだったのかは、誰にもわからない。またその女性がそのような発言をしたのも「だからあなたたちも気をつけて」的な文脈ではなく、単に自分個人の退職理由として述べただけだったそうだ。

それでもその発言は、まだ出産経験がなく、周囲に他のロールモデルを持たない彼女たちには「あんなにも優秀で、しかもあれだけ働いていた人でも仕事と育児を両立できないというのであれば、まだ仕事の知識も経験も不足している私たちには育児との両立なんてできるはずがないのではないか」という風に受け止められたようだった。



そんな話を彼女たちから聞いていたその当時、私は育休復帰してからおそらく数か月しか経っていなくて、正直言って仕事は全く回っていなかった。

子供は毎週のように発熱し、自分は急に早退したり休んでばかり。当時は無認可保育園とベビーシッターの併用で平日を運用していたので私は時短勤務をしており、夜の残業も難しいにもかかわらず、産休前と同等のFTE相当の仕事が課される。以前のように急に海外出張に行くわけにはいかないが、そのことについて他サイトの営業から文句を言われてばかりで、出張に行けないことで実際に重要な仕事のチャンスも失っている。「この会社、この仕事量では、いつまで経っても到底子供は産めない」と言って私の育休中に転職して行った同僚のことを思い出したりしながら、働いたり、看病したり、シッターさんに頭を下げたり、子の送り迎えに行ったりして毎日を過ごしていた。

しかしそれが私の現実であっても、彼女たちから話を聞いた直後の返しとして、「やっぱり仕事と育児の両立はしんどいよ」「同僚が言っていた通り、別の会社に転職してからの方が少しは楽なのかもしれないね」などとは、どうしても言いたくなかった。彼女たちに、これ以上ネガティブな印象を残したくなかった。


子育てはある種の運ゲーであり、産んでみるまで、また育てていく途中まで、不確定だったり選択不可能な要素が複数ある。子の体質、気質、家族構成、家族の居住地、また、身近にサポートしてくれる人がどれだけいるかや、居住地域の保育園の該当年の入園難易度など。そういった数多くの条件の組み合わせによって、子育ての難易度は大きく変わる。

また、仕事の種類や量、同僚や上司の理解や配慮があるか、育児と仕事という二つのことを同時に行うにあたって何をどこまで妥協でき、また妥協できないのか、それも人それぞれで、みんな状況が違う。

たまたま同時期に同じ歳の子供を育てていたとしても、その親全員が同じ状況になるわけではなく、個々の事情は外部からは計り知れない。例え同じ業務、同じ業務量、同じ能力だったとしても、その仕事を育児と両立できるかどうか、また両立できると考えるかどうかは、そういった傍からは見えない部分の違いによって大きく変わってくる。


彼女たちには、そのことを前提事項としてまず第一に話した上で、今の私はぎりぎりではあるが周りのあらゆる人から助けを借りまくってどうにか育児をしながら仕事を毎日しているし、この先も続けていって少しずつ今の借りを返したいと思っている、だから今後も働き続けていくために今できる範囲で努力をしている、ということを話した。

加えて、私は現時点では仕事と育児の両立が無理だとまでは思っていないが、そう思う人がいるということは十分理解できるし、私もこの先何かの条件がひとつずれたら、一か月後にはそれを理由にして退職している可能性だって十分ある、ということを伝えた。

私は会社の中では全くもって優秀な社員ではなくて、むしろ間違いなく最下層に属しているが、そのようなレベルの人でも、産休育休を取り、復帰して、毎日あがきながらどうにかやっているのだ、少なくとも、そのようなチャレンジをしてもいいんだ、と彼女たちには思って欲しかったし、何より私自身もそう思いたかった。



働きながら子供を持つということについて、いつも思い出すことが一つある。

私が妊娠するずっと前、まだ結婚もしておらず、子供を産むなど考えてもいなかった頃に、グローバルのHRリーダーと直接話す機会があった。

その場で他の女性社員が、「今の日本ではまだインフラ整備が十分ではなく、子供を産むと子育ての負担が母親に集中することが多いため、一旦産んでしまうと子供がいない頃と同じように働くのは難しく、どうしてもしばらくの間のキャリアダウンを覚悟しなければならない。またこのような小さな組織の中で、私が数年間に渡って戦力にならなくなればその分の負担が全て同僚に回るのだと考えると、子供を持つという選択を躊躇してしまうというのが本音だ」というような発言をした。

それに対し、HRリーダーは「そんなことを今のうちから心配する必要はない。そのような状況に対応するのがマネージャーの仕事で、それはあなたの仕事ではない。この会社の中でどう働くかに限らず、あなたの人生のキャリアプランはあなた自身が決めるべきだ」とはっきりと言った。

そのときは、さすが立派なことを言うもんだなあと思って聞いてすぐに忘れていたけれど、数年後に妊娠したときに割とすぐこの言葉を思い出したし、復職後も事あるごとにこの言葉を思い出している。建前でも、綺麗事でもなんでも、自分に対してそう言ってくれた人がたしかにいたということが、救いや励みになることはあるのだ。


二人の女性たちとの顔合わせの後、しばらくして、一人が私の部署に異動してきた。

異動の実際の理由は知らないが、異動後に彼女に初めて再会したとき、「あのときに◯◯さんと話したのがきっかけなんです、あれで、この部署に行きたいって思ったんです」と言われた。

社交辞令であったとしても、そう言ってくれたのは素直に嬉しかった。

そして今回、彼女が無事産休に入ると知り、あのときあのような伝え方をしていてよかったなと改めて思った。


今は、もうすぐ出産する彼女が、今後もその時々で望んだ通りのキャリアにチャレンジできるよう、陰ながら応援している。