2021年2月 - 1

急に忙しくなり、私の平穏な2月3月は完全に失われた。

さようなら余裕のある日々。しばらくは走りっぱなしになりそう。



今日は2/1か。私は大学受験よりも中学受験の方が自分の人生に大きく影響したと思っているので、毎年センター試験や各大学の個別試験の時期になってもあんまり何も思い出さないけど、2/1はさすがに懐かしく思う。

私は2/1と2/3にしか受験しなかったので、午後受験があって一日に2校受けたりする今の中学受験生よりはだいぶまったりした受験日程で過ごしていた。1月の、千葉だか埼玉だかの入試は当時も受けている人はいたけど私はそれも受けなかったし。


1月最後の週は中学受験に向けて小学校を休む人が多かったけど、私は普通に登校するつもりで、なのに直前に熱を出したので2/1の前の登校日(1/31だったか、もしくはその前の金曜日だったか)は1日小学校を休んだ。ただ高熱ではなかったので、結局その日も2/2も家で遊んでいたんだよな…ちょうどファイナルファンタジーの新作が出たので、2/2は同じく中学受験で小学校を休んでいた友人と一緒にひたすらゲームをやっていた。

2/1の受験の結果は2/3にしか出ないのに、2/2にもどこも受けずに遊んでるとか、今考えるとまじでだらだらしていたな。私は中学受験時がいわゆる偏差値で測れる学力の人生のピークで、合不合判定テストでは毎回どこの中学校名を書いても合格率96%と出ていたので、第一志望の中学校についても「25回受けて24回受かるんだから、まあ余程のことがなければ受かるだろ」と思っていて、あまり緊張もしていなかった。

2/3の筑波大附属の試験が終わった後に、迎えに来ていた親に2/1の結果を教えてもらったけど、うんうんそうだよね、ってかんじであまり大喜びもしなかった。親は親で、私が2/1の午前中に第一志望の中学を受験している間に、渋谷西武だかどっかのデパートのおもちゃ売り場に並んで当時大人気だったたまごっちを買って帰ってきていたしな…自由。

ほんと、中学受験時の私はまじで余裕ぶっこきすぎだった。家で自分一人で予習シリーズを読みながら楽しく勉強して、わからないところを週2回か3回行っていた近所の個人塾の先生に聞いて、毎週日曜日の午前中にだけ四谷大塚お茶の水校まで行って日曜テストを受けてマクドナルドを食べて帰って、というのを続けていたらどんどん成績が上がって、一切の苦労も挫折もなく、とにかくひたすらに楽しいまま中学受験を終えてしまった。


結局私は、単純に楽しいからといって中学受験勉強を始めて、たまたまそのままのテンションで受験を終えられてしまった享楽的な人間なので、中学入学後に勉強よりも楽しいこと(Dir en greyのファン活動および、ディル友とつるむこと)にハマったら、そりゃ相対的に楽しくない勉強はしなくなりますわな。

楽しいこと、好きなことはしつこくやるけど、その代わりに楽しくないことや好きじゃないことに対しての努力や継続をする能力が低いので、中学入学後しばらくすると積み重ねが必要な数学と英語でさっそく落ちこぼれ、中3のときに始まった数学Iの授業でそれが決定的になり、以後ほぼ全ての授業についていけなくなった。

中3だか高1で理系を選択したものの、実際のところ数学も物理も化学も英語も何もかもがわからず、もはや自分が何をわかっていないのかもわからないのでここからどうしたらいいのかもわからない、という状態で、しかも高2になってからやっと大学受験することを決意して始めた大学受験勉強は私的にはとーーっても大変だった。中学受験よりもずっと。こんなんじゃ、行きたい大学どころかそもそも入れる大学がない、という状態から、よくぞ受かったものだ…

大学受験で、人生で初めて偏差値50の高さを知ったし、最後まで志望校はC判定だかD判定しか出なかったし、実際第一志望は補欠合格だったし、全てがぎりぎりだった。


という受験にまつわる懐古話でした。

少し前にも書いたけど、人生中盤以降は努力する人、努力できる人、努力することを努力できる人が強い。私みたいな一発屋はだめです。ってわかっているのに、なおも行動を改めないところがまじでだめ。

中学受験の一発勝負だけが運よくうまくいっても、その後はずっとぱっとしないという私のような人も世の中には山のようにいるだろうし、人生はたった一度の受験では決まらない。

ただ私は中学高校時の成績はボロカスだったけど、中学高校生活という意味ではとーっっても楽しかったし、未だに母校に入ってよかったと割とあらゆる意味で思っている。学生生活の何に価値を置くかは人それぞれだし、その自己評価すらも後々になってから変わったりし得る、かなり儚いものだと思う。